音楽鑑賞から学ぶ、感性の磨き方

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date
Jun 29, 2024
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music
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解釈の余地を楽しむということかもしれない
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今日は Kankyō Records光婉 が主催する「Kanshō/鑑賞」という音楽鑑賞のワークショップに参加した。改めて音楽と人間の持つ想像力の素晴らしさを感じた。
音楽は捉え方が無限大にある。視覚的な情報はないからこそ、より自由に解釈をすることができる。解釈できる余地や可能性に満ちているからこそ鑑賞が楽しい。
事前情報なく聴いた後にアーティストのバックグラウンドや作品のコンセプトを知って聴くとまた感じ方が変わる。つまり、作品・聴く人の持つ感性・知識(や何らかの付加的な情報)との関係性において解釈や捉え方が生まれるとも言えるだろう。
今回は音楽鑑賞後に感想をシェアする機会があった。人によっては歩幅を感じたり、恐竜の足跡を感じたり、地の胎動を感じたり、浮かんできたそれぞれの音像を知ることができた。
逆に面白いのは、事前情報なく純粋に作品と向き合って感じたことを書き出すことが、自分の内面に秘められた感性やパーソナリティを見つめ直すきっかけにもなりうるということだ。友人と話す中で知られるざる自分に気付くのと近いものを感じる。
音楽は言語、国境、出自、セクシュアリティ、年齢あらゆるものを超えて分かち合えるものがある。解釈に正解なんて存在しない。それぞれの感じ方は尊重されるべきだろう。
作品を通しで聴いて、感じたことを言語化することがとても楽しかった。僕は1枚のA4の紙な裏表びっしり書いてしまった。言葉にするとどんどん筆が進む不思議な引力がある。
この空間でこのタイミングで聴いてるからこその感じ方がきっとある。解釈や作品の感じ方は刹那的で朧げなものなんだろう。だからこそ言葉にすることに意味がある。
いいな〜、素晴らしな〜、素敵だな〜というだけで終わらずに一歩踏み込んで感じたことを言葉にする勇気を持ちたい。「何が良かったのか」だと難しく感じてしまうが、作品に良い / 悪いもないはずで謎に評論スタンスになってしまう。
むしろ「何を感じたのか」という問いを持ちながら、作品と向き合って(泳ぐ / 遊ぶとかそういうニュアンスの方が感覚的には近いが)解釈の余地を楽しむのが鑑賞の基本的なスタンスなのかなとも思った。
そうやって鑑賞を通して感性を磨いていく先に、きっと作品だけでなく身近の人間関係や日々の暮らしでさえも、より豊かに感じれるのだろう。自分の感性を殺さず、大事に育んでいけるようにしていきたい。
P.S.
ワークショップの詳細は こちら
Home Listening Room という空間で鑑賞した。考え抜かれた設計で、音楽をより立体的に空間的に体で感じることができた。(不定期でレンタルも可能な日があったりリスニングイベントもあるとのこと)
音楽鑑賞の対象はこちらの、Kankyō Records からリリースされた「Music for Resorts」というコンピレーションアルバム。地球を取り巻く環境問題や大規模災害により、美しかった景色や場所が失われていく現状に改めて目を向ける為に制作されたとのこと。
 
 
(余談だが、自分はこの作品を通して自然のダイナミズムを感じた。川面に浮かぶ葉が木漏れ日を浴びながら気持ちよく下っていき次第に溶けて堆肥となり、雨風を生命力に変えて逞しく育っていく木々の姿があった。木々から発散される微粒子は風に乗り大地に降り注いでいくような、自然界におけるエネルギーの循環に気付かされた。そして、その営みがいかに尊く愛おしくものであるかを感じるような作品だった。)
 

© yokinist

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