内なる「べき」に立ち向かう

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date
Jan 9, 2025
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boyaki
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「べき」から「したい」へ
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人の心の中には、絶え間なく響く「べき」という声がある。その声は時に人を前に進める原動力となるが、同時に重い足かせにもなっている。私たちの「べき」という思考の多くは、外部から取り込んだものだ。親からの期待、学校での教育、社会的な規範、SNSで目にする「理想の生活」など、様々な外的要因が知らず知らずのうちに「べき」を形作っている。
「べき」という思考は、現実と理想の間に大きな溝を作り出す。完璧な理想像を追い求めることは、まるで地平線を追いかけるようなものだ。どれだけ努力しても、その距離は縮まることがない。特に日本では、「周りに迷惑をかけるべきではない」という思いが、時として過度な自己抑制につながることも少なくない。
しかし、「べき」から解放されようとするとき、多くの人は不思議な空虚感に出会う。「こうすべき」「ああすべき」という指針から逃れた先に、自分が本当に「したい」ことがよく分からないということに気付く。それもそのはずだ。「したい」は、いつの間にか「べき」の声に覆い隠されていく。
変化は、「べき」と「したい」を区別することから始まる。例えば、「毎日運動すべき」という思考を、「健康でいたい」「体を動かすことが好き」という素直な願いに置き換えてみる。すると不思議なことに、同じ行動でも、その質が変わってくる。
本屋で立ち止まるコーナー、SNSで思わず見入る投稿、雑談の中で目が輝く瞬間—。そういった日常の些細な反応の中に、本来の「したい」は隠れているのかもしれない。完璧を目指すのではなく、その時々の自分にできることを、できる範囲で行う。そんな態度で自分に接することで、より自分らしい人生が見えてくるのではないだろうか。

© yokinist

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