僕の2025年を振り返ってみる

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Dec 27, 2025
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2025年はとっても変化の大きい1年だった。このまま年を越してしまうのが勿体無いので、自分の言葉で今一度どんな1年だったか振り返っておきたい。かなり長くなるかもしれない、、、と先に言っておく。

気付いたら、空っぽだった

去年は SNS もほぼ動かさず、あまり友人とも会わず、休日もパソコンと向き合い仕事にばかり明け暮れていた。仕事が生き甲斐なのか、仕事で精一杯なのか、仕事に逃げているのか、自分でも正直よく分からなくなっていた。
そんな中、年末年始は1週間にわたって一人旅行をしていた。久しぶりに仕事から離れて、改めて自分を見つめ直すと、すっからかんだった。「自分は何をしたいんだろう?どう生きたいんだろう?」考えれば考えるほど分からない。
当然、目標なんて決められなかったので、一つだけ行動指針を決めた。それは「たくさんの人と話すこと、いろいろな場所に足を運ぶこと」。去年の自分がやっていたことと真反対のこと。自分とだけいくら向き合っても、もうこれ以上何も出てこないと悟ったから。そう心から思えた。
会社のメンバーに今の自分の考えていることを伝えて、休職させてもらった。いろいろな場所を巡り、いろいろな人と話した。そうしていくと、遊び心を起点にしたプレイフルな生き方をしてみたいと思う自分がいた。
イシュー(課題)ドリブンではなく、プレイフル(遊び心)ドリブン。とことんありのままに、自分勝手に、楽しいことを追求し続ける。しばらくは、ローカルに潜って、そういう生き方をしてみようと決めた。

仕事を辞めて、東京を離れる

決めたことは「仕事を辞めて、東京を離れる」ということ。今は群馬県片品村にある標高1000mほどの場所にある築150年ほどの古民家に、3人で暮らしている。メインの仕事は山の麓にある温泉旅館の番頭。日帰り温泉、宿泊、食事、キャンプ場を運営している。
仕事内容は、温泉掃除、館内清掃、温泉受付、お部屋のセッティング、時に雑談。他にも薪割り、草刈り、火おこし、SNS広報、チラシ作成、予約管理・調整、予約サイト掲載、イベント企画・運営、のぼり旗設置、HP制作、イルミネーション設置、DJ、落ち葉掃除(ブロアー)、雪かき、店長代理など…色々な経験を積ませてもらった。

新鮮なことばかりの日々

東京のど真ん中で育ってきた自分にとって、山での暮らしでは、毎日が新鮮なことばかり。いかに小さい世界で生きてきたんだろう。今までいかに都市の機能や利便性を享受しながら(同時に頼りながら)、生活してきたのだろうと思い知らされた。
都市部に住んでいると、あらゆることにアクセスしやすくなる。これは時にメリットにもなるけど、あらゆるものが選択対象になるあまり、感覚が麻痺してしまう恐れもある。「選択肢が多いこと、早く辿り着けること」だけが幸せなことではないんだなと気付く。たまに滞在するぐらいが、今の自分にとってはちょうど良いリズムだなと感じる。感覚のリハビリ期間なのかもしれない。
一方で、都市に染まりきっていたからこその「学びしろ」がたくさんあると気付いた。地元の人には当たり前だと思うことでも、1つ1つに感動してしまう自分がいる。そして「あの時あの自分を一緒に過ごした自分」だからこそ、伝えられるメッセージがきっとあるんだろうなとも思える。
学び続ける人生にしたいなと思ったのは、別で書いたので詳細はこちらに譲る:

生きている実感を求めて

今まではアイデアを形にしていく面白さと、世の中に価値を届けられるそのスケールの大きさに魅了されてWebエンジニアを生業としていた。だけど、次第に大きなことを成し遂げようとか、未来に欠けているものを発明してやろうという志向性よりも、価値の密度とか温もりや手触り感のようなものを大事にしたい気持ちの方が大きくなっている。
例えば、地元のおじいちゃんやおばあちゃんが孫のように可愛がってくれたり。宿泊されるお客さんと仲良くなって、翌日「頑張ってください」なんて置き手紙と一緒にキャンプ飯の差し入れをもらったり。最初は友達と来たお客さんが、次は家族を連れて来てくれたり。東京にいた頃の友達が集まって、遊びに来てくれたり。一緒に稲刈りをしたり。貸切パーティーの会場に選んでくれて、大型バスでたくさんの友達が来てくれたり。QRコードの読み取り方を聞かれて教えたら、すごい喜んでくれたり。毎回、自販機のドリンクをご馳走してくれたり….。
まだまだ書ききれないけど、そういう1つ1つに、なんとも言えない喜びが詰まっている。うまく言葉にできないけど「生きている実感」のようなもの。僕が求めていたのは、そういうことかもしれない。

捉える時間軸が長くなった

とはいっても、「小さくおさまろう」なんて思っていない。地方には温泉や旅館はたくさんあるが、後継者不足や老朽化、経営者の高齢化などによりどんどん廃業に追い込まれているのも現実だ。自分が向き合っている課題は同じく全国の温泉や旅館で向き合っていることだと思うし、ここを乗り越えることができれば希望が持てると思う。意味ある事例を少しでもつくれれば、それはどんどん波及していく。何か困った時に、もしかしたらWebエンジニアをしていたバックグラウンドも役立つかもしれない。
あとは、大きくなるまでの時間軸がより長く捉えるようになった。極端な話、いきなり全国各地の温泉を運営できるようになったとかなっても面白くない(し、できる体力や実力がない)。次から次へと起きるトラブルを乗り越えてながらも、少しずつ大きくしていくという「過程」や「連続性」にこそ面白みを感じる。

いつかなんて、きっとこない

正直、貯金もそんなになかったし、車の免許も当時はなかった。だけど、道は自ずとひらけてくる。大概、思ったよりどうにかなる。もう少しお金稼いでからとか、仕事が落ち着いてからとか、〇〇歳になったらとか、免許とってから、とかそういう条件を待っていては埒が開かない。準備しているうちに、気持ちが変わって、また次の準備をして、、みたいになってしまう。
逆に車の免許を持たないまま、先走って暮らし方を変えたのは貴重な経験ができた。なんせコンビニすら歩いていける距離にないどころか、最寄駅から車で1時間以上かかるし、職場(温泉旅館)から家(古民家)まで徒歩で1時間もかかる。貰い物でどうにかしたり、雑草を薬代わりにしたり、ヒッチハイクしてみたり、いっそのことキャンプ場にテントを張って何週間も暮らしてみたり。制約があるからこそ、工夫が生まれて、それがまた面白かった。

心の声に素直になる

いま考えればよく住む場所を変えるだけでなく、仕事を辞める決断ができたよなと思う。当然、親にも心配されたし、反対された。実は、来年30歳になるというタイミング。「30歳になるまで、心の声にひたすら素直に1年過ごさせてほしい」と、伝えてなんとか理解してくれた。パートナーがいる訳でもないし、ましては子どもなんていない。今、自分に素直になれないでいつ出来るの?とも思っていた。
まだまだ知らない自分がいるし、見えていない世界がたくさんある。自分の直感をもっと大事に、心の声に素直になり続けた先に、どんな世界が目の前に広がっているんだろうという好奇心が僕の原動力にあるんだろう。
特に今、夢中なのは「季節」や「自然」。都会では見過ごしていた季節の移ろいや自然の美しさに、こんなにも心が動くなんて思わなかった。まずは自分が一番に楽しまないと、周りにも伝えられない。だから今は、ただ目の前の季節を味わうこと、この暮らしを楽しむことに夢中でいたい。そしてその楽しさを、少しでも周りに還元していけたらいいなと思う。

たくさんの人に支えられていた

こうして振り返ると、この1年は本当にたくさんの人に支えられていたんだなと思う。
急な決断を理解してくれた会社のメンバー。久しぶりに会って、いきなり人生相談をさせてくれた友人。四国だけでなく、全国に連れ回して知らない世界をたくさん見せてくれた原田さん。色々と心配しながらも背中を押してくれた両親。温かく受け入れてくれた古民家の同居人。温泉旅館で一緒に働く仲間たち。一緒に遊んだ東京からの友人たち。そして、何より温泉を訪れてくれた一人一人のお客さん。
結局一人じゃ何もできなかった。誰一人かけても今の自分はいない。みんながいたから、こんなにも変化な1年になったんだと思う。だから、感謝を伝えたい。ありがとう。

© yokinist

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